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礼拝説教

大泉家庭教会では毎週日曜日10:00から礼拝をおこなっています。
こちらでは、礼拝の説教内容(抜粋)を掲載いたしました。どうぞご覧ください。

9月25日『孝、情そして解怨』

(天一国四年 天暦8月25日) 礼拝説教 金 城鋒教会長
お父様の聖和4周年において、お母様の一番中心的なみ言は、「孝」「情」です。私たちの信仰生活において、今の時においてのみ言、私たちの姿勢、でもあります。それを念頭に私たちは何をどうすべきなのか、と考えましょう。

「孝」「情」をもって、私たちは、神様の恨みを解放しましょう。解いてさしあげましょう。恨みを持っていては自由にはならないのです。人間、アダム、エバが堕落して以降、神様の恨が解けていません。恨みから解放されなければ、神様は全知全能にならないのです。神様を解放してさしあげれば、神様の全知全能が発揮されて私たちが天の前に祝福を受けることが出来るのです。

お父様が何年か前にずっと語っておられた内容は「解怨」「解放」「祝福」です。では何をもって神様を解放してさしあげるのでしょうか?それは、親孝行の「孝」の心情でなければ解いてさしあげられません。なぜなら、最初のアダム、エバが堕落したその出発は「親不孝」からでした。原型を戻して、恨を解いてさしあげるには親孝行の心情でなければ解いてさしあげられないのです。

聖書に、ある二人の息子の話があります。弟は父から財産を生前贈与してもらったのですが、遠くへ行ってやりたい放題して、お金をすべてを使い果たしてしまい、食べることにも窮するようになってしまいます。そして親元に帰ればせめて食べることは出来るだろう、と帰ったのでした。そんな放蕩息子を、父は、盛大に宴会まで準備し温かく迎え入れます。堕落した人類を喜んで迎え入れてくれる神様の姿も同じです。

しかし兄は、遊びつくして戻った弟を宴会をして迎え入れている父が信じられません。父と共に一生懸命働いて、今まで父を支えてきたのに、自分の為には宴会どころか弟に準備したような子羊すら準備してくれなかったその父がなぜ?と思うのでした。天の心情圏で、もう一度この長男、次男のことを考えると、なぜ親は次男を盛大に宴会して迎えたのでしょうか?親心で死んだと思った息子が生き返って帰ってきた、と思うのです。しかし神の心情はそうであると同時に、相対圏です。遊び尽くした次男はこうやって歓迎しないとまた逃げ出すから歓迎して迎えたのです。もし親の心情圏が分かる子なら棒で叩いてでも悟すのですが、次男は違います。食べることにも困りこのままでは生きれない、とボロボロになって親を訪ねてきたのです。なので自分中心です。自分が大変で求めて来てるだけで、親の心情など一切深く考えていません。そこまで、成長、成熟していない、心情が幼いのです。ですから怒って棒で叩いたら2度と戻って来ないということになり、盛大に迎えて喜ばせない限りはどうなるか分からないのです。ちゃんと成長して成熟していけるものを持っていて、悔い改めて来ていたのであれば、本人が土下座して謝る中、親がガンガン怒ったとしても1週間でもそのまま土下座し続け親に許しを求める、そういう子になっているはずです。逆に本当に申し訳ないと思っていれば、親の元にはその時点では帰れず、何とか歯をくいしばって一生懸命働いて成功して親の元に帰るでしょう。

信仰生活においても、わたしたちは、自分の基準はどうでしょうか。お父様と親子の情になっている先輩方は、お父様から厳しい言葉をかけられても、笑って受け止めることが出来ます。どういう心情になっているのか、です。いつまでも、よしよし、とされるお客様(幼い姿)でしょうか。いつ私たちが、神様、ご父母様のことを理解して、成熟した子供になっていくのでしょうか。

もう一つ、先ほどの聖書のお話の長男のことですが、弟は遊んでしまい、自分は働き、親に侍っています。自分は親孝行している、と彼は思っていました。そんな中弟が帰ってきて、その遊びつくした弟を歓迎する親に疑問を持ちました。兄として本来なら、遊びつくしていた弟を訪ねていきべきでしょう。状況を伝え聞いて父が悲しんでいるよ、父が心配するから一緒に帰ろう、と言って連れ帰るのが親孝行でしょう。長男は、父の為に一生懸命仕事を頑張ってますよ、と言いながら、父の心情をまったく知らないのです。分からない、理解しようとしていないのです。父が苦しんでいるというのに、ただ、一緒にいるだけで親孝行している、と思っているのです。

今、多くの方が神様を知らずにいます。よっぽど苦しく大変じゃないと神様を求めません。次男のようなかんじで、苦しく大変でないと戻ってこない、戻って来ても幼く、宴会して、おもてなしして、お客さんとして迎えなければならないのです。また、長男のように、親の心、心情を知らない姿で、一生懸命自分で頑張って仕事をしているんだと思っても、本当の親の心を知らないのです。

私たちがみ旨を歩むにおいて、ご父母様から祝福をいただき、許されていて、お父様と共にみ旨をやっています、と思っていますが、本当にお父様の心情を分かっていますか?ご父母様の内容を私たちは理解しているのでしょうか?それを考えながら、自分の今の内容をもう一度悔い改めて考えなければなりません。

36家庭の先輩に長くお父様に侍ってこられお疲れ様です、と言ったところ、私たちは一生懸命やっていると思っているのですが、「結局、足りなさはお父様に来るのだ。自分は長い分、お父様に苦労をかけたのです。」と言われました。「むしろ新しく来られたあなた方の方が、お父様に苦労かけた事はそんなに無いでしょう」と言われました。自分が何をやった、ではなく、逆に不足だった、と告白するその先輩を見ながら、いかにお父様の情を解いて差し上げなければならないかが分かりました。

メシヤ、お父様はどういう人生だったでしょうか?お父様の歩んできた人生は、すべて神様の心をどうやって解いて差し上げるか、恨みを解いて差し上げ、喜ばして差し上げるか、でした。ご自身が置かれた状況、事情より、まず神様を優先されました。お父様は、神様がこうしなさい、と言われれば、まったく何も見えない、神様の心は解放される道、神様を解放して差し上げる道があれば、どういうことがあっても全部そこに投入されたのがお父様でした。ご家庭、ご子女様がどうだ、とか、いろんな国、状況、環境がどうだったとしても、そこに神様が解放される道がある、となれば、行かれるお父様でした。それしか見ていないのです。私たちはお父様の人生から学ぶことは、真の孝子として、神様が「あなたは息子だ」と言われるところまでいくお父様だということです。他の事情、状況より、第一に神様なのです。それがお父様の人生でありました。お父様を通して、その親孝行の心情、親孝行の精誠によって、神様の心が解けたのです。神様の中の恨の心情、人類始祖の親不孝によって生じた恨みが解けるのは親孝行の心情しかないのです。お父様は全身全霊で神様の前に親孝行を立てていったのです。お父様がそうして神様の奥底の恨を全部解いて差し上げたので、神様の情、心情が解放されているのです。

その情が解けることによって、自由に解放されることで、全知全能の神様に戻られるのです。今、私たちは親の元にいます。長年一緒に居る、活動している、と思ったとしても、今、どういう姿でしょうか。長男の位置、姿ではないでしょうか。親の心情、情をまったく分からない、でも、弟をひっぱって天の前に連れて行かないといけないのです。私たちは天の前にすべてのものをいただいています。親(神様)が心痛めることは、まだ外の世界にいる子供たち(人々)のことです。お母様から見れば、この世にいるすべたの方たちが「子供」です。なのでお母様は「親をしならいでしょう?あの子たちは。父母を知らないでしょう。あなたたちは知っているでしょう。だから親を証しないといけないよ」と言われるのです。私たちは、ただ居るだけではなくて、どうやって神様、ご父母様を心情を深く知り、その願われている方向へ動くようにしましょう。そうでないと、その長男のようになってしまいます。一緒に居たとしても心情が親とつながらないのです。

私たちは最終的に「孝」「情」を最終的に持っていく内容です。究極的に、まず人間堕落で失った万物を復帰し、天の前に返すのです。そして、堕落した人類を天の前に帰さないといけないのです。そうして、最終的に神様を解放して、全知全能の神様に戻すのです。お父様が人生をかけて歩んでこられたのがこの内容です。私たちは、万物の解放、人類の解放、その上に神様の解放をする段階です。親孝行の情で神様の恨(心情)を解いて差し上げる心情復帰の時です。神様の心情を説いてさしあげるために人生をかけたご父母様を思いながら、
お母様が今歩む最終的な目標、目的は、お父様を喜ばせたい、です。「自由の身になってください。地を心配しないでください」とお父様に言われたお母様です。お父様が今なそうとするものを、地上にやっていかなければ、お父様は自由にならないので、2020年までにお母様が掲げているビジョン2020の内容は、まさに、お父様をこの地において自由にし、解放し、解怨し、全知全能な神様と共におられるお父様の姿にして差し上げた、というのがお母様の願いなのです。私たちは今からもう一度この地においての責任を感じ、使命をなしていく決意を持って出発しましょう。

【み言訓読】新約聖書 マルコによる福音書15章11~32節他


9月18日『天一国の塩と光に成ろう』

(天一国四年 天暦8月18日) 礼拝説教 金 城鋒教会長
※準備中

【み言訓読】新約聖書 マタイによる福音書5章13~19節他

新約聖書 マタイによる福音書 5章13節~19節
13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、 人々にふみつけられるだけである。 14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。 19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これ をおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

天聖經 第4編 真の人間 第3章 真の人間に復帰する道
第3節 真の人間の生活
1、真の愛の人生は、一言で言うとために生きる人生です。人が自分のために与えてくれることを願う前に、まず人のために与える生き方です。そし て、人のために与えたことを忘れてしまう生き方です。与えてあげたといって何かを期待する生き方ではありません。与えても、もっと多く与えること ができずに心を痛める生き方です。ために生きるにおいても、頭を下げて与える生き方です。それが父母の愛であり主人の愛です。人類の真の父母である神様がそうなのです。4、自分を中心として作用しようというのは悪をもたらしますが、全体のために作用しようというのは発展をもたらすのです。全体のために行くところ には、すべてのものが門を開くというのです。個人も門を開き、家庭も門を開き、氏族も門を開き、民族も門を開き、世界も門を開き、天の国も門を開 き、愛の道やすべての道が門を開いて歓迎するというのです。統一教会は、このような観点から、ために生きる道を行きなさい、ために生きなさい、ために生まれた、という天理を教えるのです。

9月11日『生かされて生きる人生』

(天一国四年 天暦8月11日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

画像の説明

この世界において多くの方たちが、生きて生活しながら考えることは「自分の命、自分が持っているすべてのものは自分のものである」と考えていると思います。分からない、幼い子供から見れば、自分のもの(自分の人生は)は自分のもの、と思います。知恵を出して親ごまかそうとしても、親から見ればすべてが見えます。産んで育てて与えてもらい、すべて親から頂いている、という感覚はその親が思春期の頃、持っていたでしょうか?自分の人生は自分のもの、だと思うものです。今の堕落した人類はそういう幼い姿なのです。分かっていないのです。自分の世界で限定されるのです。

親を知らない、神様を知らない、神様がどういう姿か、何を願っておられるかが分からないのが堕落人間です。なので「命」も「人生」もすべてのものは自分のもの、と考えます。全てを創造し命を与えてくださった神様から見ると「何を言っているのだろう!?」となるでしょう。親と子のこのような関係が神様と堕落した人類の関係となっているのです。

今のこの世界の存在の元に考えると、「生命」はどこから来ているのでしょうか。神様です。親から生命を頂き、その生命の根源である「愛」は神様の手にあります。神様の主管の中にあります。

自分ひとりで生きている私たちではありません。何一つ持たずにこの世に来て、何一つ持たずこの世を去っていく、と聖書に書かれています。それは王様でも貧しい家庭に生まれた人でも変わりがありません。でも人生の期間において、何を求めてこの人生を天が与えてくださったのでしょうか。そして、どう生きるべきなのでしょうか。

私たちには、万物が与えられています。空気、光、水、食物を得て生きています。私の体の為にあるそれらの存在に感謝していますか。動物や植物は犠牲になっていて、それら命をもっているものを頂き、栄養をとり生きている私たちなのです。万物にも心があります。成功した人々は、万物を大切にしているし、人を大切にしています。万物は、感謝をすれば自然に集まってきます。大事にすれば覚えてくれます。万物は、愛すれば、大切に扱えば、無くなっても別の形で現れます。愛の投入は、万物を動かす原則です。

ある面、万物に生かされている私たちです。そして、また、人との関係の中で生きている私たちです。人は、幸せにしたい、喜ばせたい、と思って、扱いやすい形の万物(例:コップ)を作ります。材料は万物ですが、そこには愛と精誠、人を幸せにしようとする心が含まれているのです。そのように人の愛情が入るかどうかで、同じように作ったお米の味が違います。

このように、私たちを幸せにしようと、人、万物を創ってくださったのは神様です。生命の根源であり、愛の根源が神様です。すべての出発は、人間(アダム、エバ)を幸せにしたい、なのです。空気、光、水、一つ一つ、親である神様が私たちに準備したのです。

愛は特定して1対1で入ります。イエス様は私の罪を背負って逝かれました。自分とイエス様という観点だと深く感じます。神様が人類を創造されたことに対しても同様です。神様は私の為に準備したのです。私の為に水、空気、すべてのものをです。真のご父母様が全人類の為にこんなに苦労されている、と言ってもぼやけてしまいます。ご父母様は「私」を救う為に苦難の道を行かれました。興南収容所もダンベリー刑務所も私を救う為に、私と出会うために行かれ、摂理のたびに精誠を尽くしてこられたのです。お母様がなぜそこまで頑張って無理をされて成そうとされているでしょうか。普通ならみんなまかせて自然豊かなところでゆっくりしたい、と思うのではないでしょうか。そういうお母様ではないのです。寝ずにいろんなことを準備されています。なぜでしょうか。お母様は私の手をとって一緒に行こうとしているのです。今のお母様の苦労は私を救うためなのです。

多くの人、万物に支えられて生きる私たちであり、自分ひとりで生きているのではありません。より深く、天の父母様と真のご父母様との関係、人、万物との関係を考えて感謝していくこの1週間となりますようお祈りしております。

【み言訓読】新約聖書他

テモテへの第一の手紙 6章3~16節
3もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教えに同意しないような者があれば、4彼は傲慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いとに病みついているものである。そこから、ねたみ、争い、そしり、さいぎの古希尾路が生じ、5また知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者どもの間に、はてしのないいがみ合いが起こるのである。6しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。7わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。8ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。9富むことを願い求める者は、誘惑とわなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。10金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。11しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。12信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。12信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。13わたしはすべてのものを生かして下さる神様のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる。14私たちの主イエス・キリストの出現まで、その戒めを汚すことがなく、また、それを避難のないように守りなさい。15時がくれば、祝福に満ちた、ただ一人の力あるかた、もろもろの王の王、もろもろの主の主が、キリストを出現させて下さるであろう。16神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アーメン。
天聖経 第1編 神様 第3章 創造主であられる神様 第1節 神様の創造
10.存在と生命のうち、どちらが先でしょうか。哲学というものは、存在から初めるようになります。初めから生命を扱えません。それでは、生命はどこから出てくるのでしょうか。生命は独りで自ら出てくるのではなく、父母の愛から出てきます。生命の世界と愛の世界は、神様が管理する世界です。それ以下のものを扱ってきたのが哲学思想です。ですから、存在よりも生命が先です。存在を動かすのは生命です。生命を動かすのは何でしょうか。愛だけが生命を動かすことができます。愛によって出発したので、愛の関係に従って動き、愛の結果を訪ねていくのが生命の行く道です。このように、情緒的な問題が宇宙創造の根本です。
第4編 真の人間 第1章 神様が創造された真の人間 第5節 被造世界と人間の位置
10.人は自分1人ではありません。宇宙共同の縁を創造した結実体として表れたのが人間です。このような人間には、万物を総合した形がすべて入っており、私たちの先祖から受け継いだ、数多くの先祖の全ての性質が投入されています。顔を自分の顔のように感じていますが、その顔になるまで数万年の歴史を経てきたと言うのです。数万年かけて先祖の血を受け継ぎ、そのようになったと言うのです。奇跡的な実体です。それだけでなく、その背後に天との縁がついてきたために、その人が残ったというのです。天から見るとき、無限の曲折を経て今日の自分が作られたというのです。万物のすべての関係的存在が投入され、投影された実体が自分だというのです。

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