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説教 2017年12月

説教 2017年12月

12月17日『公的な蕩減路程を歩ませてください』

(天一国五年 天暦10月30日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

天聖経
第四篇 真の人間
第ニ章 人間の責任分担と堕落
第三節 堕落の結果
30  皆さんは、神様のためにどれほど涙を流してみましたか。神様のなされた苦労の前に、代わりに苦労するため、四肢が裂かれるような道でも訪ねていこうとしてみましたか。できなかったというのです。
皆さんが子女という立場を追求するためには、公的な涙を流さなければなりません。天のお父様に出会い、「お父様、あなたの息子である私を、私たちの先祖を 失ってしまったとき、あなたの心にどれほど悲しみがしみわたったことでしょうか。その子孫を通じて、今まで歴史過程において受けられた屈辱と苦痛と困難 が、どれほど多かったでしょうか」と慰労してさしあげながら、限りなく涙を流すことができなければなりません。

第八篇 信仰生活と修練
第ニ章 心と体の修練
第四節 心の修練
35 自分の思いを中心として祈ってみなさいというのです。いくら夜を明かして祈っても、神様とは関係がありません。一生を否定し、一生をつかみ、その一 生のために行かなければなりません。例えば、家庭を否定し、国を抱きなさいというのです。より大きなもののために生きること、それが公的です。そうしてこそ、残るのです。自分の欲望を中心として、家庭を中心として行くこと、それはあとのことです。より大きな目的を中心として行かなければならないのです。
 

父の祈り10 - 復帰編 - 17. 公的な蕩減路程を歩ませてください
お父様!
今、私たちが行くべき道は漠然とした道ではありません。
より公的な道を探していく生活をする人々が、
歴史を支配することのできる
勝利者となるということを知るものです。
この地上で主権を支配できなかったとしましても、
永遠なる歴史をおいて支配することのできる特権が
与えられるということを知るものです。

このような厳粛なる時間、時間が、
私たちの生活舞台で決定されるという事実を思うなら、
きょう私たちが立っている立場が
恐ろしくおののく立場であり、
私たちの一生もまた
恐ろしくおののく行路であるのを感じるものです。

お父様!
今日、私たちは公的な蕩減路程を行かなければなりません。
個体を投げ捨て、
公的な蕩減路程を行かなければなりません。
あなたは私たちをして
最大の勝利をすることのできる道だけを残させるために、
公的な道を行けとお教えになりました。
この公的な道を行くためには
環境を超越しなければならないがゆえに、
相互いに奉仕し、
ために生きながら行かなければならないことを知るものです。

目的に向かっていく必然的な過程で
迫害と受難の道に遭うとしても、
私たちがより公的な立場に立つようになるときは、
お父様が必ずより強い力を下さって、
それを克服することができるようにしてくださることを知るものです。
私たちには、そのような永遠なる背景があり、
永遠なる一線があるということを
私たちが忘却しないよう許諾してください。

私たちが死ぬとしても、
千倍万倍、栄光の価値で葬ってくださり、
抱いてくださるお父様であることを知りました。
このように私たちの未来には
勝利できる道だけがあることを知るとき、
感謝を捧げざるを得ません。

今、統一家全体が糾合して、
残されたこの民族の運命と世界の運命を身代わりして、
最後に公的な使命を果たすことのできる
聖なる群れとなるよう許諾してください。
このように進む私たちが
日がたつほど力が衰えていくのではなく、
あすの希望の前に
加重された力を持つ群れとなるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。
(一九七〇・五・二四)


12月10日 『すべての事について、感謝しなさい』

(天一国五年 天暦10月23日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

聖書
テサロニケ人への手紙第一5章
16 いつも喜んでいなさい。 
17 絶えず祈りなさい。 
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

エペソ人への手紙 一5章
17 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。 
18 酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、 
19 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。 
20 そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、 
21 キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。 

天一国天聖経
第8篇 信仰生活と修練 
 
第一章 信仰生活とは何か
第一節 信仰生活とは

1  信仰生活は、必ず傍観者の立場を脱皮しなければなりません。皆さんは今、先生に従っていますが、先生を中心として信仰生活をするのではありません。皆さ ん自身を中心として信仰生活をするのです。ですから、信仰生活をする人には、人がどうであろうと、自分一人が守っていくべき信仰の道があるのです。
そのような信仰生活は、周りの人からは学べない深い心情の世界において、天を中心として一人で感謝する生活、一人で満足する生活ができなければなりませ ん。
 世の中がどんなに悪くても、天地を見つめながら、「感謝します。私は幸福です」と言える信仰生活をしなければなりません。
そのようにできず、そのようなことを感じられなければ、その反対の立場、この上なく悲しい立場で、「私は罪人です。私は足りない者でございますので、勇気 をお与えください」と決意して再起する、そのような期間を必ずもたなければならないのです。


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