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説教 2017年1月

説教 2017年1月

1月29日『神のひとり娘、人類の真の始祖であられる真のお母様』

(天一国五年 天暦1月2日) 礼拝説教 斉藤 滋伝道部長

【み言訓読】

◎真の父母経
第一編 真の父母様の顕現と真の父母時代
第一章 真の父母の復帰歴史的意味
第二節 再臨主である真の父と聖霊の実体である真の母

真の父母になるべきひとり子とひとり娘
神様の願いは、アダムとエバが創造本然の姿のまま成長、完成し、真の家庭を築くことであった。神様は、絶対愛によって精誠を尽くし、御自身のすべての願いを懸けてひとり子アダムとひとり娘エバを造られた。しかし、堕落が起きたため、神様は彼らに代わる存在として、まずひとり子であるイエス様を送られた。創造の順序に従い、本然のアダムを先に復帰されたあと、そのアダムを通してエバを復帰しようとされたからである。したがって、本然のアダムに代わる、後のアダムとして来られたイエス様は、本然の後のエバを探し出し、夫婦になることによって、人類の善なる始祖である真の父母にならなければならなかった。

イエス様は、「私は神様のひとり子だ」と言いました。ひとり子に必要なのは、ひとり娘です。イエス様がこの地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできません。家庭の土台を整えなければなりません。
 ひとり子だと主張したイエス様の目的は、世界を統一して号令することです。それをする前に家庭をつくらなければならないのです。イエス様は家庭をつくることができませんでした。ですから、この地上の人間たちを救おうとすれば、「このようにしなければならない」と言える家庭が出てこなければなりません。一つのモデル家庭が出てこなければならないのです。
 
イスラエルの国を救う前に、家庭をつくらなければなりません。もしイエス様が、神様のひとり子としてひとり娘に出会って結婚式をするとすれば、その結婚式の主礼は、間違いなく神様がしてくださるのです。救援摂理の最高の目的は、神様が愛する一つの家庭をつくることです。それで神様の愛を中心として、ひとり子とひとり娘の立場で成長し、神様を父としてお迎えできる場で祝福を成し遂げ、人類の真の先祖の基盤を整えるのです。その場を失ってしまったので、再び取り戻さなければなりません。

◎旧約聖書
創世記第二章22節-24節
22主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
23そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、私の肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
24それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

1月22日『血統転換と天の父母様の摂理』

(天一国四年 天暦12月25日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

み言
聖書 
マタイによる福音書 1/1〜17
1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
2 アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
3 ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
4 アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
5 サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
6 エッサイはダビデ王の父であった。 ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、
7 ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、
8 アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、
9 ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
10 ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、
11 ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。
12 バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、
13 ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
14 アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、
15 エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、
16 ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。
17 だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。

ルカによる福音書 3/23〜28
23 イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子、
24 それから、さかのぼって、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、
25 マタテヤ、アモス、ナホム、エスリ、ナンガイ、
26 マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ、
27 ヨハナン、レサ、ゾロバベル、サラテル、ネリ、
28 メルキ、アデイ、コサム、エルマダム、エル、
29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリヤキム、
31 メレヤ、メナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
32 エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナアソン、
33 アミナダブ、アデミン、アルニ、エスロン、パレス、ユダ、
34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、サラ、
36 カイナン、アルパクサデ、セム、ノア、ラメク、
37 メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、
38 エノス、セツ、アダム、そして神にいたる。

天一国天聖経 
第2篇 真の父母
第3章 真の父母と重生
第3節 長子権・父母権・王権復帰
3 根本復帰をするためには、重生しなければなりません。重生するためには、堕落していない父、結婚する前の父の骨髄の中から出発しなければなりません。歴 史を通じて、一番目は長子権復帰、二番目は父母権復帰、三番日は王権復帰、四番目は皇族圏の復帰をしなければなりません。そのためには、血統を転換しなけ ればなりません。それで、リベカを中心としては兄弟同士で争い、タマルを中心としては、子宮で入れ替わって生まれた息子を中心として、そこから新しいイス ラエル選民が出てきたのです。イエス様が来る時まで、国家基準を中心としてマリヤを通して分別したのです。今、再臨時代まで、そのようなことを拡大して、 血統を清めてきました。国家基準でそのような過程を経なければならないので、イエス様もやはり、マリヤの腹中を通して再び分別され、懐妊されると同時に神 様が主管できる息子になったのです。ひとり子という言葉が、そこから出てくるのです。

4 イエス様は、いつ血統的に転換されたのでしょうか。これが問題です。カインとアベルを中心として血統的に見れば、どのようになっているでしょうか。血統 を転換させるためには、母のおなかの中に入らなければなりません。サタン側の長子が先に出てきて天理の大道に背いたので、これを腹中で転換させなければな りません。それで、カインとアベルの歴史は、弟が兄の長子権をひっくり返す歴史です。生んでひっくり返します。世界の人々をすべて生んで転換しておき、少 しずつ範囲を狭めていかなければなりません。それを、もう少し近い段繕で転換したのが何かといえば、エサウとヤコブです。双子を中心として転換するので、 転換しやすいのです。

1月8日『新しい出発』

(天一国四年 天暦12月11日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

み言
聖書 
ルカによる福音書 5/27〜39
27 そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
28 すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。
29 それから、レビは自分の家で、イエスのために盛大な宴会を催したが、取税人やそのほか大ぜいの人々が、共に食卓に着いていた。
30 ところが、パリサイ人やその律法学者たちが、イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った、「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか」。
31 イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
32 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。
33 また彼らはイエスに言った、「ヨハネの弟子たちは、しばしば断食をし、また祈をしており、パリサイ人の弟子たちもそうしているのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」。
34 するとイエスは言われた、「あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか。
35 しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう」。
36 それからイエスはまた一つの譬を語られた、「だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない。もしそんなことをしたら、新しい着物を裂くことになるし、新しいのから取った布ぎれも古いのに合わないであろう。
37 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。
38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。
39 まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。『古いのが良い』と考えているからである」。

天一国天聖経 
第4篇 真の人間
第4章 真の人間が行くべき生涯路程
第1節 人間の本性の道
3  出発を誤れば、とんでもない所に行きます。ですから、船が大海を航海するにしても、出発した港から、羅針盤を中心として行くべき目的地を描いておいて進 むのです。人間は出発した港がどこなのか分からずにいます。羅針盤をもって彼岸の世界に到達でき、目的地を描いていくことのできる方向性がないというので す。これがくねくねと、自分勝手に行ったりきたりしたのです。人間がいくらやっても、人間で終わるというのです。

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