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説教 2017年3月

説教 2017年3月

3月26日『実体聖霊降臨』

(天一国五年 天暦2月29日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

三大評価と四大精神
お父様のお母様評価
1 生まれつき特別鋭い霊的直観を持っていて人物や物事に対する洞察力観察  力が非常に正確で明晰
2 お父様に対する絶対的忠誠心、何を言われても、何でもしようと決意して  いる
  どういう方向性にお父様が導いても、いつも喜んで従ってくれます
  信仰と信念があったからこそ苦難の歳月にも、目的達成のために、深く信  じられないほどの忍耐力をもって勝利してきた
3 どんな貴重なものでも、だれかに与えて喜ばせたいという無私な生活観を  持っている
お母様の言葉
1 人生の目的
  私の人生の目的はただ一つです。それは、いかにしたら昨日よりももっと  感謝の念で今日を生きられるかということです
2 女性の役割
  女性はみ言(真理)で相手を正したりするものではなく、相手を許し愛す  るのです
  私の勝利の秘訣はこれだけでした
  女性は許しと愛を与える人になってほしいのです
3 失ってはいけないもの
  妻としていかに困難にぶつかったとしても笑顔を失わないように努力して  きたのです
4 絶対必要な精神
  うむことのない不屈の信仰と決意と忍耐が今日の私をつくりあげたのです

新約聖書
使徒行伝2章1節~4節
1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
3 また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
ヨハネの黙示録
21章9節~10節
9 最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。
10 この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。
22章17節
17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

原理講論
第7章 キリスト論
第4節 重生論と三位一体論
(一) 重生論
(1)重生の使命から見たイエスと聖霊
ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母としてこられた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリント・一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。

3月19日 車 世鍾教区長特別礼拝

『精誠と克服』

(天一国五年 天暦2月22日) 礼拝説教 車 世鍾教区長

【み言訓読】

精誠というものがあります。精誠とは何でしょうか。どのようにすることが精誠なのでしょうか。精誠とは特別なことではありません。同じことを
千回、万回、心をこめて反復しながら、自分が喜ぶと同時に、世界までも喜ぶように影響を与えようとすることです。
精誠というものは、千回、万回繰り返すことです。専門的な技術者になるためには、その分野で千回、万回、億万回、何度も繰り返さなければなりません。
繰り返すところに最高の権威が生じるのです。愛する世界で専門家になり、愛の最高の技術者にならなければなりません。(78‐113)
霊的な基準を中心として、今までどれほど苦労してきたでしょうか。ですから、昔はイエス様を信じても、悟りに通じるのが本当に難しかったのです。直接指導を受けるというのは、本当に困難でした。ましてや、愛という心情を感じることは、本当に難しかったのです。(78‐43)
今の時代は、私たち統一教会では平面的です。真の父母を中心とした基準ができているので、皆さんが、一週間だけ精誠を尽くせば通じるのです。必ず父母様が現れます。先生が現れて教えてくれるのです。
これがどれほどの革命か分かりません。(78‐43)
皆さんが、伝道しに行くというとき、ただ行ってはいけません。どれほど精誠を尽くしていくのかということが問題です。ある人を伝道する際に、一週間や一ヵ月、あるいは、一年、二年、三年はかかるだろうと思えば、その期間は精誠を尽くさなければなりません。雨が降っても、雪が降っても、ご飯を食べても、寝ても覚めても、あるいは行こうが来ようが、休んでも、どんな行動をしても、一体の心をもって、その人の前に完全に、全部与えてみよということです。完全に与えれば、完全に返ってくるのです。これが原理です。ゆえに、神様を愛するにおいて、どれほど精誠を通じて愛し、人間を愛するにおいて、どれほど精誠を通じて愛するのかが、問題なのです。これが霊界に行って人格になるのです。栄光の基台になるというのです。(42‐228)
祈祷の喜びは、祈祷をする時間によってその程度が決定されるのではなく、その時間圏内にどれほど精誠を投入するかに比例し、それによって程度が変わるという事実を考えるとき、精誠こそ、私達を救ってくれる第一の要素になり得ることを、私たちは知らなければなりません。皆さんが精誠と直結される場に立たなければ、皆さん自身の救いも完成できないことを知らなければなりません。(42‐219)


3月12日『出発の動機を成長させて行く』

(天一国五年 天暦2月15日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

聖書
創世記28:10〜22
10 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
11 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
12 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
16 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。
17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
18 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、
19 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
20 ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、
21 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。
22 またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。

天一国天聖経
第3篇 真の愛
第3章 真の愛の実践
第2節 真の愛の実践
34 人間は、二つの血統が連結しています。一つは、自分を生んだ歴史的な先祖を中心としてサタンの血統に連結しています。この血統が生じた動機は、自分 を中心とする自主的自覚性を採ったからです。それでは、神様の血統とは何でしょうか。自分ではなく、全体のために生きるものです。ために生きる血統です。 ですから、傲慢な人は、永遠にサタンの血統圏を抜け出すことができません。その血統圏を抜け出そうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。世 界の人は、すべて自分のために生きるのですが、天の側は反対です。自分のために生きようとしないで、全体のために生きているのです。堕落圏を抜け出すため の表題は「怨讐を愛する」ということです。

第8篇 信仰生活と修練
第2章 心と体の修練
第6節 心と体の統一のための生活
21 祝福家庭が神様を中心とした生活、み旨を中心とした生活をしたでしょうか。できませんでした。自分を中心とする生活をしました。あらゆる生活の動機 も目的も、み旨と神様であってこそ、そこに愛の園がつくられるのです。そうして、神様を主体にし、私たちは相対となって、与え合うことができなければなり ません。そのようになれば、そこに神様の愛が介入するのです。

第3篇 真の愛
第1章 真の愛の根源
第2節 真の愛の根源
34 宇宙生成の根本動機は神様ですが、その動機の中心が、真の愛の道を立てようとするところにあったので、神様は、御自身だけを考えません。御自身を考え る前に、愛の相対を尊重して、すべてのものを、その前に投入したというのです。それでは、愛の結実体とは誰でしょうか。神様御自身ではなく、投入したもの に愛の結実が実らなければなりません。これは驚くべき思想です。これが宇宙生成、宇宙の始まりの根源です。それを端的に分かりやすい言葉で言えば、神様が なぜ天地を創造したのかということです。哲学的な問題です。なぜ天地を創造したのかといえば、見て喜ぶために創造したのですが、それよりも、愛を愛らしく するために天地を創造したのです。

3月5日『本郷の地を求めて行く』

(天一国五年 天暦2月8日) 礼拝説教 金 城鋒教会長

【み言訓読】

家庭盟誓
一、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します。

天一国天聖経
第12篇 天一国
第3章 天一国国民と「家庭盟誓」
第5節 天一国主人の生活と「家庭盟誓」
21 本郷という所は、行きたいと思い、見たいと思い、暮らしたいと思う所です。私たちの心が行きたいと思い、心とともに体が行きたいと思う所です。心が 慕うと同時に体も慕う、永遠に安息でき、幸
福の基台であると誇れる本郷を、私たちは訪ねていかなければなりません。そのため、今までの歴史過程において、 数多くの人々がこのような本郷を慕い、追求し、欽慕しながら死
んでいきました。また数多くの宗教者や哲人も、この本郷の地を探すために今まで苦労してきて いるのです。ですから、本郷の地は必ず現れなければなりません。

23 本来、人間始祖が堕落していなければ、本郷とはアダムとエバが暮らしたエデンの園であり、その村であり、その山河であることは間違いありません。今 日、堕落した父母の血統を受けて生まれた人
間は、「本郷」と言えば、自分たちが生まれた所を考えるのですが、そこを人類が追求し、慕っている理想的な本郷 と言うには、あまりにもむなしいのです。
今日の統一教会は、失ってしまった本郷を探し求めていかなければなりません。

28 本郷の地を求め、その次に地上天国と天上天国を創建しなければなりません。「私」が創造しなければならないのです。失ってしまったので、すべてつ くっておかなければなりません。どろぼうに
遭ったので、再びつくっておきなさいというのです。千年、万年かかってもしなければなりません。それで、統一教 会では還故郷を唱えたのです。

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