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説教 2014年3月

3月30日『許し、愛し、団結しよう!』

(天一国二年 天暦2月30日) 礼拝内容 説教 垣内 勝男 教会長

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1970年代初頭のアメリカは、悪の勢力にやられ、世の中の問題全てが”るつぼ”のように煮えたぎっていました。
1971年12月、真のお父様は、神様から「アメリカに行き、アメリカを何とかしてほしい」と啓示を受け、アメリカへ行かれました。
出国禁止(国家非常事態宣言)になる前日のことでした。

アメリカは、神様が愛する国であり、強大な国なので、世界に影響力があります。アメリカの運命(向かう方向)が世界の運命(向かう方向)を決めるので、それは、神様が願う方向でなければなりません。

1972年ウォーターゲート事件があり、当時のニクソン大統領が2年後辞職に追い込まれました。
大統領が関わっていた事件として、アメリカ全体がさらに混沌としました。
お父様は神様に必死に祈り、最初に出てきた言葉は「許しなさい」でした。
間違っている指導者を許せるのか?神様なら「許す」と言われたのでした。
「だからあなたも許しなさい」と。

そして、「愛せ」と言われました。
ニクソンが家族だったら、自分の父として見たら、許せるのではないか?
誰一人ニクソン大統領を支持する人が居ない中で、擁護していかれました。
心情的に許して愛していこう、とされたのです。

そしてさらに、「団結せよ」と言われました。
皆で一つになり、何かを成し遂げる(行動する)のが「団結」です。
神様から離れるアメリカに対して「こんなにも危機なのに、なぜ神を求め、神に祈らないのか?」と新聞に広告を掲載し、神を見失っていたアメリカをもう一度、神の方向へ向けさせようと、大会を開催していかれました。
当時のアメリカに「消防士、医者として来た」と言われながら。

信念、信仰が変わらない限り、神が役事するのです。
指示があったとき、躊躇せず「わかりました」と答えると霊界が働きます。
全部ご存知で指示されている神様なので、自分をなくして神様を信じて一つになっていくべきなのです。

今は、最後の時です。
全ての人に神様の霊(愛)が注がれます。
神様が地上に現れ、家庭に顕現されます。
いろんな現象を通して見せられていきます。

神様に求めなさい。
熱心に心を込めて訊ねていけば答えてくださいます。
神様ぬきには幸せになることができない私たちです。
幸せになっていない現状は、神様を意識していないからです。

人間的だと混沌としてしまいます。
真のお父様が神様中心に歩まれたのでそれを相続しましょう。
私たちにとって希望は、真の父母、メシヤです。
今、地上で出会えているのはどれほどの恩恵でしょうか。
自分が置かれている立場を感謝だと思えているでしょうか?
私たちは許され、愛されています。
愛の空間に包まれて過ごす歴史的瞬間に、今ここで生きている私たちは
現状に満足(感謝)しましょう。複雑な心情にもっていかないようにしましょう。

恵みを受け、純粋に感謝しましょう。
周りの方々とも、許し、愛し、一緒になって頑張っていきましょう。
支え合って行けば力が出ます。
根底に神様、ご父母様を中心に意識して、お父様が見せてくれたその精神を相続していけば、私たちも変わってきます。

皆を幸せにしたい神様です。
幸せになるために私たちは感謝していきましょう。

4/1は真のお父様(文鮮明先生)が初めて日本に来られた日です。
新しい出発の時です。神様を熱く思って、桜の花が満開になるごとく、私たちの心にも愛の花を満開に咲かせるように、喜び希望の中で出発していきましょう。

【み言訓読】文鮮明先生自叙伝より

・第4章私たちの舞台が世界である理由
 1970年代初頭のアメリカといえば、ベトナム戦争をめぐる葛藤と物質文明に対する懐疑で、社会が激しく分裂していた頃です。人生に意味を見出すことのできない若者たちは、道端をほっつき歩いて、酒と麻薬、フリーセックスに人生を浪費し、貴い霊魂を堕落するに任せていました。
彼らが彷徨するのを止め、正しい人生に戻るように導いてやるべき宗教は、もはやその役割を失っていました。そのために、低俗でわいせつな雑誌類が道端で堂々と売られ、麻薬を吸って幻覚を見ながらふらふら歩く若者たちがあふれ、離婚した家庭の子供たちは心の拠り所を失って街をさまよいました。あらゆる犯罪が幅を利かせるアメリカ社会に警鐘を鳴らそうとして、神は私をその地に送られました。
 アメリカに到着するやいなや、私は「キリスト教の危機と新しい希望」「キリスト教の新しい未来」という主題で全国を巡回し、講演活動を展開しました。人々が集まった場所で、誰も指摘していないアメリカの弱点を鋭く指摘しました。
 「アメリカは本来、清教徒精神によって建てられた国です。わずか二百年の間に世界最大の強大国になるほどの目覚ましい発展を遂げたのは、神から無限の愛の祝福を受けたからです。アメリカの自由は神から来たのものです。ところが、今日のアメリカは神を捨ててしまいました。今、アメリカの人たちは、神から受けた愛をすべて失ってしまいました。何が何でも霊性を回復しなければアメリカに未来はありません。私は皆さんの霊性を目覚めさせ、滅びつつあるアメリカを救おうとここにやって来ました。悔い改めてください!悔い改めて神に帰らなければなりません!」
・新約聖書 使徒行伝第2章17節
神がこう仰せになる。
終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は予言をし
若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。

3月23日『真の愛による和解』

(天一国二年 天暦2月23日) 礼拝内容 説教 垣内 勝男 教会長

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真のお父様(文鮮明先生)は、いつも私たちを見つめ、励まして下さっています。勝利して、幸せ、許し、愛を受ける準備をしている私たちです。
私たちは神様の愛を感じなければ、本当の意味で変わることが出来ません。

個性完成すれば、神様の心情を体恤し、神様の願いに従って、神様の愛を感じて生きるのです。
堕落したので、神様の愛が分からなくなってしまいました。
偽りの神、サタンを中心に生きるようになってしまったのです。

私たちのことが心配で仕方ない神様です。その神様を私たちの方から裏切ってきました。
人は、親がいないと正しく生きることができません。
私たちは親である神様、ご父母様なしには生きていくことができないのです。
何をし、どこへ向かうのか、正しい道、方向性が分からず、さまよって生きています。真の親を知らないことは、悲劇です。

私たちは、神様、真のご父母様に出会っていなければどうなっていたでしょうか?
真の親をしっかりつかみ、離さずに生きていけば、幸せが来ます。

もっと、幸せの実感度を上げましょう。
神様、ご父母様に出会って本当に良かったといえる人生にしましょう。
どんな状況、環境でも精誠を尽くしていけば、最終的には、天の父母様が「役事する」「必死に祈れば私が役事する」と言われました。

嘘、偽りなく、愛をもって、勤勉に、一生懸命にすれば、変わることができます。いつも見つめ、愛し、共に悩み、考えて下さっている神様です。

でも今まで、純粋に、愛をもって生きたいのに、そうすることができない、
なにかが邪魔する、ということがあったと思います。
それが解決したい、(堕落)人類歴史上のテーマです。

人にとって一番大切なのは、「愛」です。
その「愛」が堕落により、破壊されました。なので復帰することは大変です。
愛に対する憎しみ、怨み、嫉妬、不信、猜疑心、自分しか信じられない、自己中心、それらの思いがどんどん募っていくと、殺意となっていき、実行してしまいます。自分が死んでしまいます。

根底は、愛の恨みです。根深く私にも残っているのです。
エゴ、自分最優先の先にあるのは、悲劇です。
もし、私たちが親や誰か人に対して、愛の恨みがあれば解いていきましょう。
清平役事、祈願書、訓読を通して、整理し、変わっていきましょう。

愛の恨みは、神様、真のご父母様の「真の愛」でしか越えられません。
愛の恨みの極地を越えられたのが、お父様です。
その愛の勝利者とつながって信じていけば解かれるのです。
勝利できないはずがないのです。

旧約聖書のヤコブも愛の恨みを越えた方です。参考にしましょう。
ヤコブを恨み殺そうとしていた兄エサウでしたが、ヤコブの姿に感動し一瞬で恨みが吹っ飛びました。「自分のことをこんなにも思ってくれていた」と伝わったからです。
真の愛に包まれれば、愛の恨みが消えるのです。
真の愛にふれると人は変わるのです。
そうして「愛の和解」ができたのです。

その人の為に祈り、心を開いてあげたい、怨み、悲しみ、愛の恨みを解いてあげるため、家系的(人類)の恨みを溶くために、お父様のごとく不平不満を言わず「愛の実践」をしましょう。真の愛を持っていると、みんながひきつけられます。恐いものがありません。

私たちも、その心情世界、精神で、愛の心をもって、祈り、語ったことがあるでしょうか?
1歩越えて、堕落性をなくし、越えて行ける私たちです。
自分から努力して変わり、今の時を大切に歩みましょう。

お父様、ヤコブのごとく、真の愛によって、愛の恨み、憎しみを溶かしていき、相手との和解をしていきましょう。
和解の時は一瞬ですが、それまでの精誠、どう過ごしたか大切です。

立ち向かう心情、姿勢を強く作れば、勝利できます。
家系の先祖の内容が目の前で再現されますが、諦めず、私が越えれば、先祖も解放されます。
お父様のメッセージで力をだして、お互い支え合っていきましょう。

【み言訓読】 アボジからみんなへ

どうどうと思い切りやったらいいんだね。
明るく楽しくすべて感謝していたら霊界が晴れるよ。
何をくよくよ悩んでいるの、そんなひまはないんだよ。よーく考えてごらんよ、強く雄々しくどんな環境でも、喜んで感謝して乗り越えていったら、それだけでも天宙復帰だ!
その分だけ霊界がはれるんだよ。霊界の協助が受けられるようにならなければダメだね。メシヤの代身、大変なことだよ。
中途半場は許されないよ。そんなことしたら大変だ、もっと自覚しなきゃダメだね。何のためにやってんの?
わかったら、立ち止まって考えているひまあるの?そんなのないよ。
みんなわかるでしょ、こうやってみんな本当のお父様の子供になっていくんだよ。
楽しみだね。早く成長して乗り越えて欲しい。それが一番の願いだよ。
みんな仲良くするんだよ。みんな同じお父様の子供達だから仲良くしなきゃいけないよ。みんなよく忘れちゃうんだね、お父様がいつもそばにいることを、みんなが忘れても、お父様は忘れないよ。
だから忘れないでおくれ、苦しく、つらい時はどうなることか、本当に心配なんだよ。負けてはいけない。そこを乗り越えるんだよ、いいね!
必ずできる!大丈夫なんだよ、信じていいよ。
お父様は裏切った事はない、神様だって裏切らないよ。
裏切るはずがないだろう。
だから頑張って欲しいんだよ。みんな一人じゃないんだよ、わかっているの?
本当に?みんなにはお父様がいるじゃない、神様だっているんだよ。
どうしてできないことあるの?天宙を代表する子供達だよ。霊界から見たら大変だよ。
みんなのこと、どんなふうに見えると思う?わかるかな?
勝利するにはポイントがあるんだよ。戦い方を知らないと、負けちゃうよ。
霊界もみんな注目しているんだよ。本物しか通じないんだ。ごまかしはきかない。
霊界だって救われたくて大変なんだ。だからみんなが勝利してあげないと、かわいそうなんだよ、わかる?
みんな何処に行っても注目のまとなんだよ。そのことをよーくしらないといけない。
あとは元気に楽しくやったらいいよ。
○旧約聖書
・創世記28章15節
わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう。

3月16日『変わる私と変わらない信仰』

(天一国二年 天暦2月16日) 礼拝内容 垣内 勝男 教会長

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人は、かかえている問題や課題を、誰か一人でも親身になって聞いてくれる人がいれば、心が解放され、癒されるものです。
人に聞いてもらうのがそうであれば、神様だったなら、それ以上に癒され、愛されてるという心情が芽生えるのではないでしょうか。

「神様は私の祈りを必ず聞いてくださる」と思って、真剣に祈りましょう。
「全部聞き入れてくださる」「真剣に聞いてくださってる」と思って祈れば、「本当に聞いてくださった」という感覚を得ることができます。

信仰とは、まだ見えない結果を信じつづけることです。
諦めなければ近づいていき、思ったとおり、願った通りの結果が出ます。
信仰は変わってはいけないのです。

私たちは、「絶対」「永遠」「不変」を相続し、神様の似姿となりましょう。
永遠の内容に相対し、本物に惹かれるのは、本心が「真」のものに憧れ、求めるからです。
偽りは一時的快楽にすぎず、後からむなしさや後悔が来ます。

私たちが変わってはいけないことは具体的には次の4つです。
・決意 変わらない決意であきらめずやり続けましょう。
・動機 動機(心)が自己中心ではなく、愛、良心を中心にしましょう。
・実践 「できる、できない」ではなく「やるか、やらないか」です。
・態度 愛を持って、相手のことを考え喜ぶことをしましょう。

人は人間関係で下の人との関係で表われます。
上司にだけ侍るのではなく、横、下、すべての人に同じように接しましょう。
神様への姿勢が変わらないのと同じように、
背後に神様がおられると思って、真実に謙遜に侍りましょう。
新鮮に熱心に、信頼関係を持てるようにしていきましょう。

怒りを覚えるときがあっても、それは、一時的なものです。
神様は、平等に与えてくださいます。感謝しましょう。

私たちは、順調でないときこそが、信仰の「見せ所」です。
試練、逆境など何かあったときに慌ててしまうのは、まるで日頃手入れをせずにいた車が故障して慌てて修理するのと同じです。そうではなく、日頃から整備して万全の状態にしておく方が良いように、何かあっても耐えられるように、日頃からみ言を訓読して備えておく必要があります。
うまくいかないときほど神様、ご父母様を求めましょう。

絶えず神様を賛美し祈りみ言を求めて生活していきましょう。
試練のたびに同じことを繰りか返さず、いつでも感謝できるようにしましょう。
なぜなら、神様は本来苦しみを与えたくないのです。
共にあって、抱きかかえ、越えるべき問題があって越えさせなければならない神様なのです。
ですから、神様にたずね求めれば、救いの手を差し伸べて下さいます。平安な気持ちになれます。

何かあった時、み言(教会長から来る毎日のみ言)を振り返ると、必ずヒントがあります。神様が与えて下さったものだからです。
自身の心を照らすみ言です。
新しく発見した内容と照らし合わせながら歩んでいきましょう。
そのように、根底に常に神様があるようにすれば、自身を奮い立たせることができます。

私が変わりましょう。一人一人が成長、発展していきましょう。
神様中心に喜びあい、思いを察し、一緒に試練を越えていけば、お互いが成長するでしょう。
そこには「自分(中心)」はありません。
素直になりましょう。向上心をもって絶えず研究していきましょう。
私を通して、神様の愛が表れます。私の関係性の中で表れるのです。

本心、良心が何を願っているのか、その願いのとおりに精誠を積みましょう。
背後に神様がおられるので出来ないことはありません。

【み言訓読】 天一国経典 天聖經 第三篇 「真の愛」

・永遠で絶対的な真の愛
皆さんの心に永遠の愛がありますか。「神様の愛は私に現れるのだ。永遠に変わりはしない。天地が変わっても、この公約は変わらない」という立場が定まっていますか。神様の愛は、変わらないところに現れます。不変なので、神様の愛は永遠です。変わらない愛なので、神様の愛が私に現れるならば、変わらない心の土台の上に現れます。
・絶対、唯一、永遠、不変の真の愛
 創造主が男性と女性を造った目的は、愛のためです。真の愛とは、永遠で、変わらない愛のことをいいます。たとえ時代が変遷し、いくら環境が変わっても、その愛は変わらないのです。唯一で永遠、不変性をもった真の愛の理想を果たすために、男性と女性を造ったのです。それは、人間を中心として創造したのではありません。根となる神様を中心として創造が始まったのです。このすべての被造世界は、愛ゆえに生じたのです。
○新約聖書
・ローマ人への手紙 第1章17節
 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
○旧約聖書
・詩編30篇
 主の聖徒よ、主をほめうたい、その聖なるみ名に感謝せよ。その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。わたしは安らかな時に言った、「わたしは決して動かされることはない」と。主よ、あなたは恵みをもって、わたしをゆるがない山のように堅くされました。あなたがみ顔をかくされたので、わたしはおじ惑いました。主よ、わたしはあなたに呼ばわりました。ひたすら主に請い願いました。わが神、主よ、わたしはとこしえにあなたに感謝します。

3月9日『勤勉に謙遜に天の父母様と共に歩みます!』

(天一国二年 天暦2月9日) 礼拝内容 垣内 勝男 教会長

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今は、主人の意識を持ち、自覚し、主体的に歩む時代です。
今までよりも、力強く歩みましょう。
天の父母様(神様)、真のご父母様(文鮮明先生ご夫妻)と共に歩みます!と断言しましょう。共に歩んでいる!という自覚をもっていきましょう。

自身の成長の為に努力している(主体的姿勢でいる)と心からの新しい発見(感じ、悟ること)があります。
神様がヒントになるものをさまざまな現象やテレビや新聞などを通して与えてくれます。

今月の書写のみ言『家庭は天国の出発点』はとても重要な内容です。
今回、書写大会で浅川先生がお話して下さった中で「4つの掃除」というお話がありました。

・家の掃除  (とくに玄関)
・顔の掃除  (夫が起きる前に妻はお化粧してきれいにしておく)
・言葉の掃除 (汚い言葉を話さず聞かず、きれいな言葉を話す)
・心の掃除  (いかに澄みきった純粋な心を持つ私になるか)

4つ目の「心の掃除」では、汚れた心の回収日は「毎日」だということです。
その方法は、汚れてしまった心を取り除けるのは、きれいな心を持つ方(真のご父母様)のみなので、
その方が遺されたみ言を訓読すること、書写することで整理していただけます。

何のために歩むか(生きるか)明確にしましょう。
私たちはいつも神様がわたしたちを創造して下さった目的のように、神様を喜ばせる歩みをしましょう。
天の父母様がわたしたちに何を願い、何を求めているのか、探し求めましょう。

万物以上に神様に喜びを返せるのは人間です。
神様に侍る姿を神様はとても喜ばれます。すべてを神様に向けて、神様の願いを心にとめて行いましょう。根底の対象は神様です。

真の愛を実践する私になれるかどうか、が重要なことです。
自分に対して、そして、家族、教会内、親族に対して、真の愛の実践を成すには、天の父母様(神様)が居なければ出来ません。

勤勉(心から励む、打ち込む・熱心)で、怠らずに、聖霊体験したような感じ(慰労、感動、喜び)で神に仕えなさいと聖句にあります※1

どんな環境、状況に追いやられたとしても、神様がこの私を導き、
突破させる為に共に居て下さいます。
神様を慕い、侍って歩む私たちになりましょう。
神様がどんな時も私たちの心を見つめていることを忘れないでください。

神様は先週1週間の私の歩みをすべて知っています。
不足だった中でも、礼拝のみ言を守りながら、誠実に頑張る姿勢が大切です。
反省しながら礼拝へ来られ、良い出発の場とされることを願います。

人も万物も動きが止まると死んでしまいます。
動くことは生きることです。神様のみ言を必要としないのは「止まる」ことです。
かつて、神様(教会)から一度離れて生活してみたことがありました。
その間、楽しいこともありましたが、それは一時的でした。楽しんだ後はむなしさが来ました。やはり、神様が必要だと思い、教会に戻りました。

最近、臨死体験をしたアメリカの牧師が、天国の入り口まで導いてくれた天使に「Rev.Moonのことを知っている人しかここから先(天国に)は、入れない、学んでから来なさい」と言われ息を吹き返した、とのことです。
さっそく文鮮明先生の教えを学び、教会の人々に勧めているそうです。
善霊の協助した例です。

反対に、最近起こる事件は、悪霊のわざです。人間わざではありません。
私たちは、善霊界の協助をもらえるように、正しい心、良い言葉を発するようにしましょう。

勤勉に謙遜に歩むところに、天の役事があります。
謙遜にするには、堕落人間は、傲慢で自分が強いので、自分を低くして、すべての人に仕えていくようにすることです。

聖句に正義(公義)を行い※2、とあります。
正義とは愛をもって修復することで、降伏させること、追求することではありません。
新しい出発を許された、と感じさせることです。

真の愛の実践を1週間やり続けてみましょう。
教えられることがあり、嬉しい実感圏を得られるでしょう。
神様とのかかわりを根底にして自然体で出来るようにしましょう。
神様は無限です。私たちの体を通して役事されます。
今までそうだったから・・・と決めつけないようにしましょう。
いつも侍る、仕えることを根底にして、周りの方々との関わりをもっていきましょう。

【み言訓読】 天一国経典 天聖經 第四篇 「真の人間」

 神様に必要なのは愛です。人の顔を見て喜ぶのではありません。目がすてきだからと喜ぶのではありません。外見が美しいと言って喜ぶのではありません。その姿が自分に似ていると言って喜ぶのではありません。人間は、神様が永遠に楽しむことのできる真の愛の対照的価値をもっています。この価値が顕現する日、この価値が登場する日、神様は初めてお笑いになり、人間はそこにおいて共に和動する相対になるのです。言葉を話すにしても一人で話すのではなく、相対的関係をもって話さなければなりません。人間の先祖アダムとエバは、そのような相対にならなければならなかったのです。

神様は、御自分が必要とする愛の対象であるため、人間を最も貴く思います。ですから、人間にとって一番貴いのは神様の愛です。いくら神様が愛をもっていたとしても、愛する対象がいなければ愛を感じることができません。相対的関係においてのみ愛を感じるのです。神様が人間を最も貴く思うのは、人間が神様の愛する対象の位置に立っているからです。神様が一番貴く思うのは、正に人間なのです。

〇新約聖書
・ローマ人への手紙 第12章11節
 熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕えなさい。

○旧約聖書
・ミカ書 第6章8節
主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。

3月2日『天の父母様に近づく者になろう!』 ~信仰と信頼と確信~

(天一国二年 天暦2月2日) 礼拝内容 垣内 勝男 教会長

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年頭標語に「天の父母様に似た・・・」とありますが、いかに近づいた私になっているでしょうか?
天一国(天国)の時代を築いていく中で、天一国の国民になってほしい、と願う神様です。正午定着の(影のない、真実に、嘘、偽りなく、真の愛をもった)歩みをしなければなりません。
神様に似た者になろう、神様に近づきたい、と完全に思うことが大切です。

アダム・エバが堕落することで、皆、自己中心となり、闘争、分裂の世の中となってしまいました。
堕落性と関係がない、堕落する前の状態に戻って、皆が平和で平安な世の中になっていかなければなりません。そこからが新しい出発です。

為に生き(愛する実践をして)、真の愛をもった、正しい生き方をしていきましょう。
堕落とは関係のない天一国の時代となり、わたしたちは、堕落と関係がないという立場を自覚しましょう。
理想だけでなく、いかに具体化するかを改めて確認していきましょう。

メシヤが来られたのは、人類に、愛と生命と血統を相続したいためです。
真の愛、生命、血統を私の家系に連結するためなのです。
天の父母様(神様)と真のご父母様(文鮮明先生ご夫妻・メシヤ)との関係を強固にしましょう。

神様の永遠の目的は、聖書にあるように※1、天国創建と全人類が天国の国民となることです。
異邦人であったとしても、改心すれば、神の国に入ることが許されるとパウロは説きました。

天国は、全人類が喜ぶことのできる所です。
反対する人も抱きかかえて入っていきましょう。改心させて神様の元に一つとなって帰っていきましょう。
神様・希望を信じない人に光を与えましょう。
その為にまず私たちが真のご父母様につながりましょう。

皆、愛を求めています。神様、メシヤの手足となってうめてあげましょう。
正しい愛にふれたとき元気になれます。
永遠性に連結されると永遠の生命を得ます。

感情的では解決できません。
神様を信頼してゆだねると、心が平安になり、確信となります。
自分(マイナスな思い)があると、スッキリしません。
家庭で収拾しましょう。

一方的に私を愛し、信頼し、選んでくれた神様です。
私を完全に信頼してくれている、愛してくれている神様です。
それをいかに感じていくかです。

そして、今まで苦労して来られた神様の心情を解放していきましょう。
関係性を深め、強い信頼の元、確信をもって歩む私たちになりましょう。

大胆に・・・※2、と聖句にあります。神様との関係は親子ですから、遠慮なく、率直に、報告(祈祷)しましょう。
親密で深い、ざっくばらんに、なんでも報告でき、自由に近づくことができるのが神様なのです。

パウロは、順調でない歩みの中でも、
大胆に神との関係を密にしながら歩んでいるから「落胆しないで」、と語りました。希望、光をもって歩んでいるから、と。

患難は光栄で、皆が幸せになっていくためにあるのです。
摂理的に進む内容がある、と周りを励ましてダンベリー刑務所に入っていかれたお父様も同様でした。

わたしたちは、神様、メシヤにつながっている強い確信をしましょう。
神様が必ず導くようになります。
神様は、「地上に天国を造る」と約束され、一貫して変わりません。
その志を受け継いだ私たちです。

そして、神様を愛しましょう。
どんなことがあっても神様を愛し、近づく努力をしましょう。
神様が「居ること」を信じ「求めたら報いてくださる」と信じましょう。

私たちは願っても叶わないのは、動機が不純で根底から求めていないからです。
真剣さが不足していたのではないでしょうか。
からし種ほどの信仰も私たちにはなかったのではないでしょうか。
今この瞬間から私たちは信仰を深めていきましょう。

一生懸命、信じてやってみると答えられる神様です。
負債ない歩みをして、疑わず、純粋に求めていきましょう。

私が幸せになることが、神様の願いです。
そして、周りも皆幸せにしていきましょう。

【み言訓読】 天一国経典 天聖經 第四篇 「真の人間」

・堕落人間を見つめられる神様の心情
 父母が愛する子女を信じているにもかかわらず、子女が裏切るとき、その信頼に比例して、父母が受ける衝撃と苦衷、そして、その惨さは、言葉に言い表せません。また生命を懸けて互いに愛し合った人が裏切り、排斥して不信するときも、やはり言葉にできないほど悲惨なのです。そのような立場で身もだえしながら味わう苦痛は、経験してみたことがない人には分からないのです。言葉だけでは分かりません。これは世の中の出来事を見て知ることができます。それでは、神様はどのようにして悲惨になったのでしょうか。神様は漠然とした神様ではなく、具体的な神様です。人間とは最高の関係をもった神様です。神様が喜ぶことがあるとすれば、それは人間と共に喜びで出発し、終わりのない永遠に向かって進み続けることのできる出発の起点を目にすることです。ところが、その出発の起点を、人間によって失ってしまったのです。

〇新約聖書
・エペソ人への手紙 第3章6節~
 その奥義は、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである※1
わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである※2
だから、あなたがたのためにわたしが受けてい患難を見て、落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのである。

・ヘブル人への手紙 第11章1節、第6節
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

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